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そもそもスピリチュアルなことって?

「そもそも」だなんて、大きく出てしまいましたが、これはあくまでも“私が思う”ですので悪しからず…^^;

さて、とは言え「これこれだ~!」と明確に言葉に出来る気がしないのでw、まずは消去法でいってみたいと思います。

☆宗教ではない

☆お願い事がなんでも叶う、魔法の杖ではない

☆この世の中からの逃避のための手段ではない

☆人の優劣や選民思想の助けではない

そんな感じでしょうか…

まず、宗教ではないというのは…

世の中にはさまざまな宗教がありますが、私はどの教えにも素晴らしい智慧がたくさん含まれると思っています。

なので、ここで言う宗教とは、組織になったものです。

きっと、どれも発生の最初の頃は、シンプルに生きることに付いての教えを説いていたのではないかと思うのですが、組織が大きくなって、それを維持するためにいろいろな物が混ざってきてしまったのでは?と感じています。

また、宗教ではないというのは、「誰かを信仰する事」がスピリチュアルなわけではない、と考えているという意味も含んでいます。

お願い事が何でも叶う、魔法の杖ではないというのは…

最近たくさん書店にならんでいる、人生をハッピーに生きていくための本が有りますよね。私も、好きでけっこう売上に貢献しています(笑)

で、ほとんどの本に共通する考え方として、「願いは叶えられる」というものがありますよね。

私の好きな…というか、支持している「思考の現実化」という考え方も、それに含まれるかと思います。

ところが、ここには落とし穴(?)が!

・他人の選択も、自分のものと同じく尊重されるべきである

・思考が現実化するって言ったら、するんだよっ!だから、希望だけが現実化するわけじゃ無いんだって

いや~、この2つにはてこずりました・・・・・っていうか、今も「難しいなぁ」と感じる部分です。

考えてみれば、私達の願う事って人に○○して欲しいって事がすごくたくさんあるんですよね。

例えば、彼に愛されたいとか、お客さんにたくさん来て欲しいとか、お母さんに認められたいとか、友達の人気者になりたいとか、とか、とか。

だけど、他人の選択(例えば、僕は別の彼女が好き~とか)には手出しが出来ないんですよ!意味ないじゃーーーん、と何度思ったことか…www

それに、思考の現実化ですよ。

願い事って、不安とセットになってる事が、よくありませんか?

「病気になったらいやだなぁ」だから「健康でありますように」・・・みたいにね。

で、これが両方とも現実化するなら、プラスマイナスな訳です。とほほだわよね。

で、不安を乗りこえる必要がある、と。でも、そんな簡単でもない、と。

それに、願いって言っても本気じゃなきゃダメなんですよね。

いやいや、本気って言葉は違うな…。

魂からの願いは叶う・・・・・って言い方のほうが正しいのかも。

が、魂の願いってのもクセもので。私達が通常考えている顕在意識の望みなんて、ヤツらは考慮してくれやしません。

例えば、努力の素晴らしさを体験したいってのが、魂の願いであった場合。「明日はテストだけど、勉強めんどくせー。勉強しなくてもいい成績取れることを潜在意識に刷り込もう」って思っても、まぁムダかと。

とはいえ、人によっては魂の選択が勉強に焦点が合ってない場合もあるようで、例えば恋愛とかにフォーカスしてる人の場合、勉強のジャンルでは上の方法も効果アリかとは思います。

と、ことほどさように。エゴの役に立ってくれる魔法では無いってのが、今のところ私の体験談です。

この世の中からの逃避のための手段ではない

これは、掲示板でスピリチュアル系否定派の方の指摘を読んでいて「ははぁ、なるほど」と思った事です。

世の中、大変な事が多くてヤダなぁという気持ちが根底にあって、

だから、苦労した分、死んだ後に天上界で天使が「よくやったね」と誉めてくれるとか、

前世からの課題だから苦しんでもしょうがない、的な諦めというか、思考停止のための方便に、不思議世界を使う人がいる、という指摘でした。

もしくは、「良い事」「ヒカリ」の側に常にいることによって、「悪い事」「悲しい事」から身を守りたい、という意図のもと、「素敵ですね」とか「最高ですね」とか「すばらしいです」とどんな事も甘い言葉に包んでしまうというのも、ある種のこの世からの逃避ではないかと、これは私が個人的に思っていることですが。

人の優劣や選民思想の助けではない

これが、言葉にするのが難しくて、なんと表現していいのかわからなかった事なんですが。

魂の階層、や霊格、や波動の高い・低い、という言葉が出てきますよね。

これがですね・・・・なんというか。私は霊界探訪できる訳でもないですし、波動の高低の測定ができる訳でもないので、そういうモノ自体が有るやら無いやらは、はっきりいってわかりません。

ただ、そういう言葉が使われる際に、人との優劣をつけようとしている臭いがして来る事があって…それは、スピリチュアルな話をしているフリをしつつ、エゴに餌をやる、まったく正反対な事をしているのでは?と感じる次第です。

それと、スピリチュアルな事って、魂を扱う領域だと思うんですが、魂って1個1個分離している訳ではどうもなさそうなので、そこに階層を持ってくるってどんなものなのかしらん、と。

たしかに、その周りについている不要な物(私は自分のを“垢”と呼んでおりますw)の多い少ないはあるのかなぁとは思ったりもしますがね。

まぁ、公にそいうったものが高い・低いというような表現を使う人は、それをその人が良いか悪いか、とに結び付けている訳では無いのかなぁと、解釈してみたりもするんですが、それでも受け取る側としたらねぇ。「あなた、霊格が低いわね」と言われたとして、気分が良いわけないですわなぁ。

と、まぁそういう事で、わたしの考えるスピリチュアリズムってのは、人がなるたけ自分の垢を自分自身で落として、本来の自分を取り戻していく為の手段なのではないか、と。となると、人を頼ったり、垢=エゴを増やしていくような手段とするのは、なんか違うぞ~とつらつら考えている最近なのです。

あれ?危ないスピリチュアリズムって前の日記から、話がずれてきている??いや、でも、私の中では繋がってるんで、そのへんご勘弁ください~(笑)

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