流産
ここ2ヶ月ばかり、すっかりお休みしていました。
実は、2度目の流産を体験してしまっていた日々でした。
mixiとかだと、リアルに知ってる人も読んでたりして(って、こっちもだけど)、なかなか書けない事も、こっちだと不特定多数だと思うと、案外書けてしまうものですね。
いやー、昔、自分が体験した事が無かった時には、流産って辛いだろうけど、まだ会った事も無い訳だし、実際子供を失うよりはたいした事無いのでは?とか考えてた時期もあったけど、全然それは違うね。
顔をあわせた事が無くても、子供は子供。
心拍が確認できました、とか言われた後の、独特の充実感というか満たされた感じは格別な物がありました。
その後の検査で成長してないですね、と言われ、胎内死亡と書かれている紙を見てしまうのは、かなり打ちのめされてしまう体験でした。
それに、2回連続だったので「そういう体質なのかも…。」と病院で言われた事も、ものすごい追い討ちでした。
女子だと、小学生とかそんな頃から、将来の子供の名前考えたりしないですか?
あと、日常の細かいところでも、子供は生まれるもんだと大前提にあって、無意識にシュミレーションしてたりとかね。
そういうものが、全部木っ端微塵に砕けた気がして、今後の人生のビジョンがまったく見えなくて、一時期どうしていいのかわからなくなってしまった感じでした。
でも、どんな事にも得る物はあるものですね。
子供が生まれてくることの奇跡的な素晴らしさや、その後、順調に成長して見事におっちゃん・おばちゃんになっている、電車の中の見知らぬ人々の姿が、なんとも素晴らしいものに感じる事が出来るようになりました。
それに、自分の幸せを外の出来事に依存しないって覚悟があらためて固まりました。(いや、まだ無意識に求めているトコロは多々あるはずですが)
外の出来事に依存しないって事は、子供が産めたら幸せとか、いなかったら不幸とか、そういう出来事に頼らないでおこう、という決心です。
なかなか、結婚できなかった時に一度そう決心したはずだったんですが、子供の事はあまりにも無意識に「あたりまえ」と考えてたので盲点でした。
って、今考えれば結婚の話のときに、そこに思い至ってなかったとは、ですよね。シングルマザーになる気だったのでしょうか?
まぁ、それはさておき。知っていたはずだけど、あらためて実感した「命の大切さ」。
あまりにもよく聞く言葉で、陳腐な印象すらありますが、でも、本当に生まれて育つってすごい事です。
とはいえ、一概に「だから、自殺はだめ~」とか「犯罪者死ね~」とかも言えなくなった部分もあります。って、かなり語弊のある発言ですが。
自殺をするまでに思い悩んだ人生でも、犯罪を犯すに至った人生でも、やっぱりそこには奇跡と神秘が隠されていると感じるのです。
「せっかくそこまで育ったのに…」と感じる部分は当然ありますが、それでも、どんな人生でも「アリ」なのだ、と思うのです。
うーん、この日記を書き出した時には、こんな話に至るとは思ってなかったな。
でも、本当にそれが今の正直なところです。皆様、どんな人生でも満喫してください。本当に、そうお祈りしております。
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コメント
読んでて涙がでてきました。
素敵な日記をありがとう。
くるしくて大変だったあなたに、ありがとうもないだろうと自分でも思うんだけど、胸にとても響きました。
会社なのにね。
自分の命にもう一度向き合ってみようと思いました。
幸せか不幸かを、外部に求めないっていうのは、とっても簡単で、道具も経験もなにもなくても、今すぐにでもできること。
だけど、ぼんやり生きている私にはとても難しいこと。
最近、それがテーマだったので余計に…
明茶に宿った命のおかげで私も教えてもらいました。
どうもありがとう。
投稿: めけ | 2007年9月13日 (木) 15時15分
いえいえ、素敵だなんて、こちらこそありがとう^^
幸せとか不幸を外に求めないって、ある種の「諦め」と通じる物があるって言うか…
でも、絶望ではなくって、と、
なんだかさじ加減が難しいとか思っておる次第です。
まぁ、日記では、その辺のおっちゃん・おばちゃんも素敵とか書きながら、やっぱし普段は「変な髪型してんな~あのおばちゃん。何をめざしてそうなったんだ?」とか、そんなことを電車の中で考えたりwww
そういう、とほほ、がキュートだったりもするわけですが!
投稿: 明 | 2007年9月14日 (金) 20時05分